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出会いの奇跡
"ブラジル農場長 小野田寛郎氏の功績"

開拓から44年のマクロビオティック酵素 ブラジル農場。
困難な道を歩み続けて、現在の生命の楽園へ。
小野田寛郎氏のご尽力のたまものです。

「マクロビオティック酵素」誕生の聖地となったブラジル農場。大地のエネルギーに包まれて無数の植物群や、動物・野鳥たちがいきいきと飛び交う生命の楽園。前述のさまざまな奇跡、自然の恵みがもたらしてくれる、さまざまなな奇跡にも出会い、ここに日本の伝統的な発酵技術を導入して、真の植物性発酵食品を誕生させようと、橋本幸雄が決心。
いまでは世界中から、大自然の息吹きを自分の心と身体で感動し、世界に類のない植物性発酵食品の生産過程を自分の目で確かめたいと、大勢の人々が訪れる理想の郷が完成されている。

水、土壌などさまざまな奇跡がありましたが、まさか出会いの奇跡があるとは……。

農場開拓から44年(2023年現在)。だがここまで、決して順調に来たわけではなかった。とくに開拓当初は苦難の連続。
当時を振り返り橋本幸雄は「やはり異国の地ブラジルでの事業の開始というのは、想像以上に大変なものでした。」「ブラジル人の気質、国民性というのがわからず、地元との交渉など問題が山積でした。」
入手した土地を守り、運営する……。日本ではそれほど問題でもないことが、ブラジルではなかなか困難な道。
「そんな折、まさに奇跡的な出会いがあったのです。水、土壌などさまざまな奇跡がありましたが、まさか出会いの奇跡があるとは……。本当に感謝の連続でした。」
異国の地ブラジルでの展開に苦慮していた時、なんとマクロビオティック酵素ブラジル農場となる開拓地から150キロメートル離れた地で5年前から農場を開拓している1人の日本人がいた。その人の名は小野田寛郎さん
「その事実を知ったとき、私は運命を感じました。」
小野田寛郎氏も開拓当初は苦難の連続。だが持ち前の人望と類まれな野心で乗り切り、念願の牧場を開発していた。

ここで小野田寛郎氏をご紹介すると……。

小野田寛郎さんは最後の日本兵として、終戦から30年後フィリピン・ルパング島から祖国日本へ帰郷。29年ぶりに見た祖国はあまりにも激変していた。
ルパング島での生活は、まさに自然と一体となっての日々。自然の畏怖を感じながら、自然の怖さを知り、自然の恵みを知り、その中で人間としての信念を貫き通した30年間。
だが激変した祖国になじむことが出来ず、帰国後すぐに〝大自然の中でこそ、自分の人生がある〟と決心し、ブラジルへ移住。
南国の太陽の下、手に入れた1100ヘクタールの大地を耕し続ける日々が始まリ、地元ブラジル人とも融合し、遂に牧場を開場した。

小野田先生のお力なしではありえなかったブラジル農場の維持と発展。

「私は新しい農場を軌道に乗せるには、小野田先生のお力なしではありえないと考え、ぜひ農場長になっていただけることを懇願しました。」
小野田寛郎氏は奥様と塾考の上、「私が自分の牧場開発で経験した失敗を、ここの農場では繰り返さないことだけでよければ、お受けします」と快諾してくれた。
その後、30年間農場長として先頭に立って活動していただき、地元との交渉、地元住民との交流、さらに社員教育にも手腕を発揮していただきました。

まさにマクロビオティック酵素ブラジル農場の開拓から現在まで、お二人の功績はとても尽大なものでした。

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小野田寛郎氏が使用していた寝室と小野田牧場看板

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小野田寛郎氏直筆の色紙

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小野田寛郎氏が使用していた机と彫刻