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マクロビオティック酵素の特徴

人は自然と調和することによって、健康に生きていけるー。
これがマクロビオティック酵素誕生の基本的理念です。

マクロビオティック酵素は、無公害、無農薬のブラジル農場で大自然のエネルギー、大地のエネルギーを存分に受けて育った植物群を素材にしています。
そして伝統的な日本人の発酵技術を持って、酵母菌での一次発酵、乳酸菌での二次発酵、ブラジル農場の大自然だからこそ生み出された酢酸菌での三次発酵。
さらにブラジル農場の大気、自然環境に合わせてじっくり熟成。
こうして誕生したのが、真の植物性発酵食品、マクロビオティック酵素です。人工甘味料、白砂糖、保存料、添加物などマクロビオティック理念に反するもの、自然に反するものは一切不使用。世界中の人々の腸内環境を良くし、健康になるよう
赤ちゃんから妊婦さん、お年寄りまで安心して摂取できる発酵食品。これがマクロビオティック酵素の最大の特徴です。
「まさに21世紀の大発明です」久司道夫語録

病気は人間が自らの力を持って自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである。 医聖・ヒポクラテスの言葉

マクロビオティックの世界的権威である久司道夫氏が、腸の働きが鈍くなった現代人でもスムーズに、高い栄養分が吸収されるようにとレシピを考案しました。マクロビオティックの真摯な理念が込められた製品誕生までの物語の一端をご紹介します。世界平和を目指した久司マクロビオティックは、どのようにして誕生したのか。
久司道夫がアメリカに渡った1950年代は、まだ、世界は第二次世界大戦が終わったばかりでした。久司は当時、「戦争の無い平和な世界を作るために世界連邦の樹立を実現させたいと考えていた」と後年語っています。
しかし、多くの先賢たちに意見を聞いてもなかなか納得できるものがない中、唯一、久司道夫の心を捉えたのがマクロビオティックを推進していた先輩・桜沢如一の考え方でした。
人間本来の生き方は、まず食のあり方が基本にある。自然の恵みをそのままの形で、添加物や加工物のない自然の恵みを食することによって、人間本来の生き方になる。
桜沢如一のその考え方に「そうか!人間が肉体的にも、精神的にも、また霊的にも健康になり、自由で幸福で、平和な世界を作り上げる生き方が必要なんだ。そうだ、マクロビオティックな生き方が必要なんだ!!」と久司道夫は決断し、桜沢如一に教えを請いながら、久司マクロビオティックの確立を一心に目指した。
そしてまず、久司道夫が始めたのが、マクロビオティックな食事法を広めること。
「食べ方を変えれば、生き方が変わる。食べ物が正しい方向に変われば、腸がきれいになる。腸がきれいになれば人は考え方が変わり、生き方が変わっていく。腸が汚れていれば、腸から、吸収され全身をめぐる血液や栄養も汚れてしまい、精神や霊性に、悪い影響を与える。多くの人の心が病んでいるのは、食べ物が間違っている結果だ」等と話しています。
この様な考え方が、当時のアメリカの人の心にも通じたのでしょう。

アメリカでマクロビオティックが受け入れられた背景

アメリカでマクロビオティックが広まった要因の一つには、当時アメリカが抱えていた「医療費の高騰」と言う大きな問題があったのです。
アメリカでは、1900年代に入ると不健康な食の状態「ジャンクフード」が徐々に進み、70年代には急速に広まりました。その結果、今でいう生活習慣病が増え、医療費の高騰が起こったのです。その打開策の一環として発表されたのが有名な「マクガバンレポート」です。アメリカの国家的プロジェクトとして調査研究が行われ、1977年に発表されたこのレポートでは、「心臓病をはじめとする諸々の慢性病は、肉食中心の食生活による「食源病」であり、高カロリー、高脂肪の食品を減らし、できるだけ精製しない穀物や野菜、果物を多く取ることが必要である」と結論づけられていました。また、「理想的な食事は、日本人が元禄以前に食べていた食事(生成しない穀類、季節にあった植物、魚など)である」と明記され、ヘルシーな日本食、マクロビオティックへの関心が向く大きな契機となったのです。

マクガバンレポート:
1970年代、アメリカでは心臓病などの慢性病による医療費が高騰し経済を圧迫。
その原因と解決策を探るために「アメリカの上院栄養問題特別委員会」が作られた。海外からも専門家を招き、数年に及ぶ審議・調査を行った結果、まとめられたのが通称「マクガバンレポート」である。のちに大統領候補になったマクガバン議員が初代委員長を務めたことからそう呼ばれる。この結果は、アメリカ以外の先進国にも大きな衝撃を与え、日本でも昭和60年、当時の厚生省が、このレポートをベースに「健康づくりのための食生活指針」を策定することになる。

日本で誕生し、世界を変えたマクロビオティック

古代ギリシャ語の「マクロビオス」=偉大な生命、健康な長寿、と「ティック」=術を合わせた言葉で、一般に「長寿法」などと訳されることがあります。
1950年代に入ると、桜沢の一番弟子であった、久司道夫氏が、アメリカに渡り、マクロビオティックの教育普及活動を始めました。当時は欧米の食文化と、相容れないと反発も大きかったものの、久司は風土に合わせた食養学として、体系化。1970年代以後、多くの著名人や経済人に食事指導を行うなどし、「日本食ブーム」の端緒を開きました。現在、欧米では400万人以上の人々が「久司マクロビオティック」を実践しているとも言われ、久司道夫は米国人の食生活改善に大きな功績を残したとして、ノーベル平和賞に二度もノミネートされるほど、讃えられています。一方、日本では、マクロビオティック=単なる菜食主義と捉えられがちですが、近年、食と健康に関する研究が進むにつれて、マクロビオティック理念に基づいた食が、日本人の体質にも合う効率的な日本の伝統的な食養生であることが見直され、関心が集まっています。

「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」

マクロビオティックの基本は「食」にあります。
「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」という石塚左玄の言葉は、「食べたものが人を作る。心身の病気の原因は食にある」という意味ですが、いみじくも、紀元前古代ギリシャの医師、ヒポクラテスと同じことを訴えています。このほか、石塚左玄から、現代に受け継がれるマクロビオティックの基本理念は次の三つあります。
「身土不二」
生命体は自然環境と一体。居住地の環境に適合した食べ物をいただくことで
心身も調和する
「一物全体」
一つの食物は全体でバランスが取れているので、分割せずに丸ごといただく
「陰陽調和」
食材も含めたすべてのものに陰陽があり、中庸をとることが良い
東洋思想に基づく、マクロビオティックでは、人工的な加工や精製、添加物を加えた食べ物、白砂糖や肉や牛乳などの動物性食品を避け、自然の恵みをそのままいただくことが良いとされています。
具体的には、野菜や穀物、海藻、発酵食品や乾物を中心とした食事のことで、精製した白米より丸ごとの玄米、野菜や果物は皮ごと。魚も大きな魚の切り身よりも丸ごと食べられる小魚を推奨しています。
また、調理法や食材である植物の栽培方法、食事時間、生活サイクルなどについても言及しています。つまりマクロビオティックとは「食」を基本とした、生き方の哲学、思想なのです。

欧米化の進んだ日本に久司マクロビオティックを

欧米で「久司マクロビオティック」が広まっていく反面、そのモデルとなった日本では、第二次世界大戦後、急速に食の欧米化、ジャンクフード化が進んでいきました。久司道夫は、食料そのものも外国に頼るようになった状態で、国民の健康を守ることができるのだろうかと危惧するようになります。

食べ方は生き方

肥満も含め、病気になるのは、生き方に問題がある。ファストフードに代表される低栄養価の高カロリー食品やインスタント食品、脂肪や砂糖の多い食品ばかり食べ、ほとんど運動もせずに強いストレスに耐えながら生きている。まるで、自殺行為です。久司は国内でも公演や著書を通じて、「肉食を控え、玄米や雑穀を中心とした食事をする方が、陽相を良くする」と説き続けました。
その内容は、医療の研究が進むにつれて明らかとなった「酵素をたくさん含む食事を取り、体内の酵素を減らさない生活習慣を心がけることである」という見解とも一致するようになりました。ひとは自然と調和することで健康に生きている。太陽と大地のエネルギーを受けて育つ植物を食べ、主食と副食、季節、栄養、陰と陽、体と食べ物の波動のバランス。これらを最も理想的に調和させる食べ方が「マクロビオティック」の真価なのだと言えるでしょう。

現代人には難しい?久司氏が苦労したジレンマ

しかしながら、マクロビオティックの理想的な食生活を続けることが、現代人には容易でないことも、久司にはわかっていた。「アメリカ人ほど健康を意識している国民はありません。それでも、慣れ親しんだ食事を変えることには抵抗があります。なぜなら、食事とは命をつなぎ、体と心を健康にすると同時に、楽しみであり、舌に慣れた味を美味しいと感じるのが、人の常だからです」と、アメリカで指導した経験を久司は振り返ります。
まして、日本では、白米または、パンやパスタなど多様な主食よりも、肉料理や揚げ物などのおかず(主菜)を中心とした食事が一般的で、ファストフードやスナック類は種類も豊富。子供の頃から慣れ親しんだ味は、母親の手作りの和食ではなく、動物性の食材に砂糖や油、化学調味料をふんだんに使ったインスタント食品やコンビニ弁当という人も少なくありません。
「その様な人たちに対して、肉食は一切やめなさい、白米でなく玄米にしなさい、人参も大根も皮を剥かずに食べましょう、自分の暮らしている地域で採れる旬の野菜を食べましょう、などと言えばどうなるでしょう。【面倒くさい】と一顧打にされないのが普通ではないでしょうか」。
食品添加物や保存料の害を心配したところで、完全無添加の食品や完全無農薬の食材だけを入手する事も簡単ではありません。理念や思想を大切にする「マクロビオティック」ですが、熱心すぎる信奉者の中には、極端な実践方法を独断で行って健康を害するなどの例もあり、そのために「マクロビオティック=ストイック、危険」と誤解されることもありました。
久司は、その様な人達のそれまでの食生活や文化、環境、性格を考慮せずに、妥協を許さないマクロビオティックを押し付けることには疑問を呈していました。
そのため、久司マクロビオティックでは、「100パーセントを求めず、明るく、楽しく、美味しく」をモットーとしました。肉やお菓子も食べたいのを無理に我慢する必要はありません(食べすぎはもちろんダメですが)。
ガイドラインとなる標準食も、それほど難しくないものだと言えます。
とはいえ、現代人のとりわけ、子供たちの食事には大きな不安を抱いていました。

思いが引き寄せた出会い。大自然の恵みとひらめき邂逅

「必ずしも日常の食事でなくとも構わない、何か口から入り、腸をキレイにする食品を作らなくては」。そう考える様になっていた久司に大きな転機が起きたのは2002年のことです。ブラジルで講演を行っていた久司は、世界最大級の熱帯性湿原帯「世界遺産パンタナール大湿原」の東の玄関口にあるという農場から招待を受けました。行ってみると、そこは360度見回しても人工物が目に入らないという広大な大草原にある農園で、6800ヘクタール、山手線の内側と同じくらいの面積があり、その3分の2は手つかずのまま、3000頭もの牛が放し飼いにされているという、日本では、およそ見る事も出来ない光景でした。
農場主はこの太陽に恵まれたブラジルの大地に農薬はもちろん、大気汚染も土壌汚染もなく、豊かな河川が近くを流れ、飲み水に困らない農業用地を求めたのだそうです。その農場内を散策している時、久司は農場主から「ここの牧場内には数百種類もの植物が自生しています。果物もハーブもたくさんありますが、食べきれるものではなく、ほとんどは実って落ち、土に還る。その繰り返しです。その植物を材料にして、発酵食品を作ろうと思うのですが、どうでしょうか?」と尋ねられました。その発酵という言葉に、久司は啓示のような響きを感じました。「発酵食品なら腸をきれいにできるし、体も心も健康にできるのではないだろうか。このブラジルの大自然が育んだ植物なら、エネルギーも違うはずだと瞬時にして、イメージできた」と、後日、その時の感動を伝えています。
そのような経緯から久司先生のレシピによるマクロビ酵素作りが始まりました。
アメリカでの活動が認知され、米国国立歴史博物館「スミソニアン」に、久司道夫のマクロビオティックの代表的な出版物や資料がクシファミリーコレクションとして保存されています。